松田山ハーブガーデンに立つと、酒匂川と足柄平野が目の前だ。
富士山の左肩に宝永山がある。今はのどかに見えるが…
江戸時代初期にマグニチュード8.7の宝永大地震(1707年)があった。
その少し後、富士山の南東斜面から大噴火が始まった。噴火は16日で終わったが、大量の火山礫(れき)、火山灰を噴出して、宝永山が出来た。
この火山灰の被害はすさまじい。小田原藩十万石の領地の6割が火山灰で埋まった。
幕府は関東郡代伊奈忠順(ただのぶ)を派遣、災害復旧にあたった。須走辺りは3mも火山灰に埋まった。
その辺りの住民を砂除け作業に採用し、復興をはかった。二宮尊徳が活躍したのも、この頃。
じっと眺めていると、鍬(くわ)をふるい、もっこを担いだ江戸時代の人々の姿がまぶたに浮かんだ。
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